勉強のこと

勉強

この業界、とにかく進歩が速すぎて日々発表されることをキャッチアップしていくだけでも大変です。そして詳細を確認し、理解し、自分の物にして・・・というのをあれにもこれにもと手を広げているといくら時間があっても足りません。

ある程度業務に関連しそうなあたりに絞ったとしても相当な量で、どう時間をやりくりして勉強するか、そしてどのあたりに絞り込むとよさそうかを判断するのも難しいです。

 

家庭を持ったり子どもができたりすると更にこの時間は減り、色々と苦悩が始まりますがその件についてはまた次回に触れるとして、今日は「勉強する」「知識をインプットする」という事自体に思うことをすこし書いてみます。

 

役に立つ?

勉強していると、「それって役に立つの?」と言われることがあります。子どもに学校の勉強について言われることもありますし、会社でも「それは業務に関係あるのか?」と聞かれることもあります。まあ、会社としては経費を使って行ってきた勉強会が全く業務と関係のないものだとちょっと問題だから・・というのは分からなくもないですが、私は個人的には勉強は「役に立つからする」という様な物ではないと思っています。

 

「役に立つ」という言葉の指し示すところも人によってあいまいだったり対象範囲の広さも違うとは思うのですが、「役に立つのか?」という聞き方をしてくる人はほとんどの場合以下の2つのいずれか(または両方)の意味で使っているように思います。

 

  • 明日にでも何らかの成果に繋がるのか?
  • 直接的に利用できる場面がどれだけあるのか?

 

もちろんこの2つの面が満たされる勉強というのはありますし、私も業務のためにこういった知識や技術を習得することは沢山あります。

しかし、私はむしろこの2つに当てはまらない知識の方が大事なのではないかと思っています。

 

二人の教え

この思いの原点の一つは父の教えです。父は「勉強は役に立つ立たないでやるものではない。一見すぐには役に立たなそう、自分の興味ある分野と全く関係ないと思うようなことでも勉強しておくと、ある日突然その知識が呼び水となり、興味ある分野でも新しいアイデアを思いつくことに繋がる」というようなことを言っていました。

体験的に言ってもこれは真理だと私は思っていて、どれだけ忙しくても、業務に関連のない分野の本も少しでも読むように気をつけています。できれば興味の無い分野にも手を伸ばせるといいんですが、さすがにそこまでやるには人生は短すぎます(笑)

 

もう一つは、博学的知識とでも言いますか、網羅的に色々なことを知っていて引き出しが多い人というのに対する個人的な憧れというのもあります。恩師の一人であるY先生がまさにそういう方で、お話ししているととにかく圧倒的に広く深い知識に圧倒され、学生時代からずっとあんな大人になりたいと憧れていました。

少しでもその背中に追いつけたらとあれこれ頑張ってみましたが、当時の先生と同じ歳になった今でもあの頃の先生に追いつけたような気は全くしません。むしろその距離が自分が思ってたよりも遙かに大きかったことに気がつくばかりです。

 

まとめ

どんな勉強も「いつか何かの引き金になることもある」「網羅的に色々知っていると人としての深みが増す」という面があるんじゃないかな・・ということなわけですが、これもひいては「役に立つ」ということだと言えるのかもしれません(「役に立つの?」と言ってきてる人達の基準とは違うと思いますが)。

 

私の大好きな漫画のセリフで「すぐに役に立つ知識が欲しけりゃおばあちゃんの知恵袋でも読んでろ」というのがありますが、極論ですが言い得て妙だと思ってます(笑)