JAWS Festa 2023 in Kyushuを終えて

だいぶ時間経ちましたが、運営メンバーとして関わったJAWS Festa 2023 in Kyushuの事を振り返って色々書こうと思います。

jft2023.jaws-ug.jp

本ブログは実行委員長の阿部くん(以下、あべたく)が書いた以下のブログへのアンサーブログであり、亡き友へ捧げるイベント報告ブログです。

note.com

そして、AWS Community Builders Advent Calendar 2023の17日の記事です。

qiita.com

なお、記憶力がザルな人が主観で書いてますので、思い違いや思い込みが大いに紛れている可能性があるのでその点はご了承ください。そして、ダラダラと長い上に完全にポエムですのでそういうのが苦手な方は読まずにスルーしちゃってください。

また、これ以降本文の文体を変えています。

はじまりはAWS APJ Community Leaders Summit 2022

何をもって今回のFestaがスタートしたと考えるかは人によるが、僕個人としては2022年9月にタイで開催された、AWS APJ Community Leaders Summit 2022への参加であったと思う。

イベント自体の詳細な説明はここでは省略するが、福岡空港出発で参加するのは僕とあべたくの二人で、他のメンバーとは現地(タイ)での合流となっていた。そのため、福岡~東京(羽田でトランジット)~タイの経路の往復はずっと二人での行動だった。あべたくは、AWS Heroである吉江さん松井さんとコミュニティの話を夜通ししていたらしく、帰る頃にはさらにコミュニティ活動に対して熱量が上がっていた。

そんな彼と、帰りの飛行機でずっと話していた。細かい話は忘れたが、帰国直後に本番を迎えるJAWS Days 2022や、(2021年に開催された)Pankrationのような大きなイベントやるのは大変だけどそれに見合うだけの価値がある、今なら「最年少のJAWS Days 実行委員長」や「最年少のAWS Hero」を狙えるが、これが狙えるのは今だけだよ、狙えるならやってみるといいよみたいな話をしたように記憶している。
半分は煽ってるところはあるものの、若いヒーローが生まれる可能性に僕もドキドキし、彼の熱にあてられていたのかもしれない。喋っている中で、あまりどこでも話したことがないような、コミュニティに対する自分のスタンスや考え方を熱く語っていた。

往路の機内で

まとめて二人分の飛行機の席を予約するときに勝手に隣の席にした上に、延々と自分語りをするとは非常にうっとうしい大人である。
ただ、後に彼に聞くとこのときの会話がFesta開催に繋がったと言っていたので、熱い思いというものは真摯に語ればきっと伝わるものなのだろう。

11月のJAWS-UG福岡

帰国後は10月にJAWS Daysが開催され、あべたくは実行委員のメンバーとして活躍していた。そんな彼を横目に僕は福岡サテライトの準備をしていた。

jawsdays2022.jaws-ug.jp

そして、11月にDaysの振り返りをネタとして、JAWS-UG福岡のオフラインイベントを開催した。「実行委員長の目で振り返るDaysみたいなお話をお願いできませんか?」という雑な登壇依頼を快諾いただき、新潟から参加していただけたかさはらさんには感謝しかない。

jaws-ug-kyushu.doorkeeper.jp

この時の懇親会の二次会だったと思うが、あべたくに「そういえば来年はJAWS Festa復活するんだよね、ぜひ九州全県まきこんでやろうぜ」「FGNとかどこか大学とか広いところ借りて大規模に平行6セッションとかで盛大にやろうぜ」「ずっとオフラインででかいことできなかったほかのコミュニティも巻き込んで同窓会的にやろうぜ」みたいな話を半分その場の思いつきで話して盛り上がって、最後に「もちろん実行委員長は君な、ちゃんとフォローはするから」とぶん投げた。酔った勢いとはいえ酷い大人である。

JAWS-UG福岡 二次会の様子

そして次の出勤日に、弊社にアルバイトできている稲岡くんに「こんな感じで来年でかいイベントやるつもりなんだけど、会場として君の大学使いたいんで、会場の手配の係として実行委員に参加よろしくね」と問答無用で巻き込んだ。一歩間違わないでも十分なパワハラである。

2月の佐賀

明けて2023年2月。JAWS-UG佐賀のリブートイベントが開催された。

jawsug-saga.doorkeeper.jp

イベント中の休み時間や懇親会であべたくと話をしつつ、久しぶりにオフで会えたいろんな人に声をかけまくっていった。Fusicの清家さんクラスメソッドのこーめいさんに声かけたのは多分このころだったと思う。

こーめいさんは以前Fukuoka Engineer Dayを開催されていて、僕はそちらに登壇させていただいたことがあったので、ぜひコミュニティトラックのトラックオーナーかそれに近しいことをお願いしたいと帰りの電車の中でお願いして快諾いただいたと思うがだいぶ酔っ払ってたので嘘の記憶かもしれない。
まだコミュニティトラックを作るという合意すら得られてないのにさも決定事項のように話して人を勧誘するとはほとんど詐欺である。

スタート~AWS Summit

3月頃だった思うが、いよいよ準備がスタートした。2015年に開催されたJAWS Festa in Kyushuの実行委員をされてたJAWS-UG大分の平野さんが「前回は実行委員長だった藤崎さんにおんぶにだっこでほとんどやってもらって、しかもスケジュールギリギリで大変だった。藤崎さんが『もう二度とFestaやりたくない』といってたが、今回はしっかり早めに動いて進めましょう」みたいなことを言われてたと思う。詳細は記憶違いがあるかも知れないが、藤崎さんが二度とやりたくないと言われたという話はよく覚えている。

4月に幕張メッセAWS Summitがあり、僕もあべたくも現地に行けた。会場で多くのJAWS-UGのメンバーやAWSの方に久しぶりにオフラインでお会いし、会う人会う人に「10月に福岡でFestaやるよ!福岡の宿事情厳しいから今すぐ予約して!実行委員で手伝って欲しいから声かけるね!」と言いまくった。みんな喜んで参加と手伝うことを約束してくれた。その場で宿を予約する人達もいた。みんなマジイケメン。最高。

aws.amazon.com

この時点では確か公式には実行委員長が誰とか言ってなかったし多分実行委員の中でも決める何か(投票とか立候補とか)はなかったような気がするが、みんなに「ここにいるあべたくが実行委員長なので皆さん是非よろしく!」と言って回ってなし崩し的に全国に認知してもらったような気がする。相変わらず酷い大人である。
とはいえ本人を含めどこからも苦情が来てないからきっとみんなの心は一致していたものと信じている。

余談だが、この時、AWSのAPACのDeveloper Relaitonsを担当されてるKristine HowardさんとCommunity Builderのみんなとで会食する機会があった。

Kristine HowardさんとCBたち

その席でみのるんさんも交えて

みのるんさん「(あべたくをKristineさんに紹介して)彼は超優秀なエンジニアなんだよー」(流暢な英語)  
Kristineさん「それはぜひAWSへ!」(もちろん英語)  
僕「いや、AWSいかれたらコミュニティのこと出来なくなるから、彼にはその前にまずはCommunity Heroになってもらわな」(中学生以下の英語)  
あべたく「あまり英語分からんけどなんか怖いこと言われてるww」(日本語)  

みたいなやりとりをしてた記録がFacebookに残ってて、やっぱり酷い大人だなと思った。
そしてやっとここに来て唐突にCBの話題をぶち込んでAdvent Calendarとしての宿題回収。こんなんでいいんか。

本格活動

5月頃になると本格的に実行委員の活動が動き出した。が、僕は敢えて細かいことに手を動かさなかった。個人的に今回のイベントは次世代へのバトンタッチを意識したかったので、基本的に切り盛りはあべたくをはじめ、若いメンバーに任せっきりにした。平野さんや古里さんや清家さんといったベテランがサポートしてくれてるし、僕があまりあれこれ動くこともないかと思ったのでポイントだけ動いた。動いたのは以下くらい。

  • 懇親会の会場の確保

    経験上いろいろ場所知ってたので候補を出したり、その中でも実際に利用した八仙閣さんをたまたま大型イベントで使ったことあったのでその時の担当の方との顔つなぎをして、あとはもう一人の担当であった浅野さんにぶん投げた

  • オープニングセッション

    自分が聞きたい話を企画にしたかったで、アイレットの鈴木くん(以下すずけん)に色々話して方向性をそっちに引っ張った

若い人を煽るだけ煽って自分はやりたいことをやったら面倒なことは全部人任せとはずるい大人である。「ちゃんとフォローする」と言ったのはどの口だ。

オープニングセッション企画

オープニングセッションでは、「地方でコミュニティ活動をする意義って何?地方支部の存在意義って?」という話をみんなに聞きたいという個人的な思いで企画をさせてもらった。

詳細は長くなるのでまた別の記事に書きたいが、コロナ禍をまたいで地方支部の存在意義や在り方についてあれこれ考えた自分なりの考えを、他の人達と議論してみたいというような意図だった。
そんな想いを企画会議で説明したが、すずけんは当初ピンとこなかったようだ。彼はコロナが始まった後にコミュニティ活動を始め、地方支部のオフライン開催の状況はコロナ後のバブル状態(コロナでオフライン開催ができなかったフラストレーションから、コロナ前以上に盛り上がってるような状態)だけを見ていたために、地方支部の在り方について僕と違う見え方をしているというのはなかなか新鮮だった。

彼の意見も聞きながら方向を調整し、概ね企画は定まった。登壇者は奇しくもAWS/Azure/GCPのそれぞれのコミュニティの人が集まるという豪華イベントになった。ワクテカが止まらない。

想定外

9月最終週。いよいよ大詰めだが仕事で出張があったので東京へ。そして帰ってきたらなんとなく喉の調子が悪い。
そして10/1(日)に発熱。まさかと思ったが翌日すぐに病院行ったらコロナ陽性。マジか。高熱も手伝って気が遠くなった。

月曜の夕方には熱は下がってきたのでギリギリ土曜の本番には間に合わないこともないかと一瞬考えたが、全国から集まってくれた皆さんに実行委員が原因となって集団感染とかなったら目も当てられないので血の涙を流しながら欠席することを決断。急ぎ関係者にslackで連絡した。
ちょうどオープニングセッションの登壇者全員集まってもらっての打ち合わせもこのタイミングだったが、ここから全てすずけんに丸投げしてお願いした。

打ち合わせのログだけあとで確認したが、こういう言い方が適切かは分からないが、彼は僕が聞きたかったことをちゃんと自分の言葉で咀嚼して登壇者に説明してくれていた。それをみてもう大丈夫だと安心してまた熱が上がってきた身体を休めるために布団に戻った。

それにしてもあちこちで「みんな福岡来てね!10月は現地でお待ちしてます!美味しいもの食べて盛り上がろう!」と散々色んな人に言っておいて本人が現地で待ってないとか、不慮の事故みたいなものとはいえ酷い詐欺である。

体調復帰~前日

3日しっかり休んで、週の後半には身体は体力以外はほぼ完調なれども外出NG。あとはイベントお留守番組にできることは各種SNS等を駆使して外から盛り上げることのみ。
ほんとうはみんなと一緒に行きたかった飲食店情報をまとめて「うまかもんマップ」を書いたり、SNSで参加者の皆さんの書き込みに片っ端から反応しまくっていた。

showm001.hatenablog.com

SNSに上がってくる前日祭的な多くの写真を見て、みんな美味しいものを食べて博多の夜を堪能してくれてるようだと分かり、このお祭りの成功は約束されていると安心した。

前日夜に福岡で開催された「逆襲のシャア勉強会 #2 in 福岡」はオンライン枠で参加した。現地にいるのにオンライン枠とか意味分からないが、オンライン枠を作っていただいたかわのさんには感謝しかない。

ccastudy.connpass.com

当日:オープニングセッション

当日。イベントお留守番組にできることは各種SNSを駆使して外から盛り上げることのみ(大事なことなので(ry。

コロナの後遺症でまだ本調子ではなく休んでる妻と娘(結局一家全滅だった・・いろいろ申し訳ない)を尻目に、一人でひたすらスマホとPCを駆使してSNS(主にX)で状況を追いつつ自分もポスト。とはいえ参加してないからイベントの内容にはあまり触れられない。参加者の人の盛り上がりに「楽しそうで良かった!」とかしか投稿できない自分に歯がみする。

いよいよ一番気になっていたオープニングセッション。X見てるとめちゃ盛り上がってた。そして、佐賀のみすずねーさん札幌のみうみうスマホで録画した動画をすぐに送ってくれた。みんな優しくて涙出た。そして動画すぐ見た。マジで泣いた。娘に心配されるくらいにマジ泣きした。

パネリストとの事前打ち合わせのログを見た時に確信はしていたが、すずけんのモデレートは完璧だった。想像以上に素晴らしかった。これはもうむしろ僕が出てなくて正解だったと心から思った。もちろん僕は出たかったし、出たらきっちりモデレートして面白いセッションにする自信はあったが、それは結局コロナ禍前を思い、変化で苦しんだ僕たち世代の目線での話でしかない。

今回は、コロナ禍になって、オンライン全盛になって以降にコミュニティ活動を始めたすずけんやあべたくを中心とした、若い人達が中心になって切り盛りしたイベントだ。「地方が盛り上がらない」「地方でやる意味あるのか」といった僕たちの問いは彼らには実は本当の意味では届いてないのかもしれない。けど、それでいい。だって今はそういう時代なんだから。僕たちが昔のことを持ち出して、それがコロナでどう変わり、アフターコロナでどうすべきかなんてのはある意味どうでもいいんだ。

同じ企画・課題でも、すずけんはそれを言い出しっぺである僕と全く違う視点から自分の言葉で理解し、自分の意見を持ち、登壇者と議論し、あれだけの人の共感を得るセッションに仕立てた。これは僕では絶対できなかった。すずけんと、Festaを切り盛りしたあべたくがいたからこその終着点だった。

繰り返すが、心から僕が出なくてよかったと思ってる。その気持ちをいまブログとして言語化しつつまた泣いている。この涙は感動とうれしさの涙であり、悔しさや悲しさの涙じゃない。

本編終了~懇親会

色々あったが、本編が無事終了した。もう一つ気になっていた懇親会もSNSのみんなの感想を見る限り、完璧な進行だったようだ。楽しんでる参加者の様子と、きっちり仕事をこなした運営委員のみんなの姿をSNS越しに見て泣いた。
会場で多くの人が僕の名前を口にし、僕が参加してないことを残念がっていたと聞いてまた泣いた。ほんとにありがとう。みんな大好きだ。

懇親会でのLTに採用された、弊社の新卒エンジニアである木村りゅうちゃんが、LTの自己紹介で「オルターブースの、有名じゃない方の木村です」と言ったらしい。クソワロタ。

泣いたり笑ったり忙しい僕を娘がまた心配そうな目で見ていた。

報告

そして、先に寝た娘と、娘の寝かしつけに行った妻を横目に、ひとりでSNS上の喧噪を振り返った。
時刻は22時頃。懇親会後に夜の街に消えていったみんなの楽しそうな様子はSNS上でももう見えない。きっと盛り上がってポストする余裕もないのだろう。それがまた嬉しかった。
流石に疲れたので一段落したところでPCを閉じ、目を閉じた。そして、心の中でそっと亡き友に語りかけた。

 

藤崎さん、あなたが「もう二度とやりたくない」と言ってたFesta、また九州で、福岡でやったよ。前回は僕は登壇者で準備に関わってなかったけど、今回は話に聞いていたあの時の反省は生かせたかな?大変は大変だったけど、みんなまたやりたそうだよ。
僕はまさかのアクシデントがあってちょっと不完全燃焼だけど、それはそれでもういいかな。イベントは大成功だし、参加した人みんな楽しそうだったし、若い人達にもバトン渡せたと思うからもう十分だよ。

僕は僕でまだまだこれからも頑張るけど、JAWS-UGや九州・福岡のコミュニティは僕らがあれこれ心配しないでも、もう大丈夫そうです。安心してまた見ててください。

余談

2023/12/16(土)にJAWS-UG福岡を開催して、そこで「実行委員長目線で振り返るFesta」というのをあべたくにお願いした。本人不在で企画してイベントページをオープンしたあとで「あ、12/16は空けといてね。この内容で登壇よろしく」とぶん投げるのは相変わらず酷い大人である。

jaws-ug-kyushu.doorkeeper.jp

あべたくから提案があり、僕とあべたくの対談というかパネルみたいなかんじでやることになった。このブログを書いてる時点ではまだイベントは終わってないが、事前打ち合わせで彼と話した感じでは、このブログに書いてることとそう離れてないことを喋ることになりそうだし、その内容も彼との認識のズレはそうなさそうでちょっとホッとした。
散々人を煽って、やりたいようにやって、さらに勢いでエモいブログ書いたものの、根は小心者なのである。