走る
年始に立てた目標、とりあえず今の所頑張ってます。日記も続いてますが、もう一つ掲げた走る方も今のところ週に1回は走れてます。
昨日はあいにくの雨模様でしたが、うまいこと雨が止んだ時間に走ることができました。ただ、とにかく向かい風がとても強くてスピードも上がらずなかなかしんどいランになりました。
走るとなれば無風で気温もちょうどよく(走ると暑くもなるのですこし寒いくらいの方がちょうどいいです)、コースもアップダウン少なくて・・・なんて都合のいいことはそうめったにはありません。
昨日は強烈な向かい風の中を走りながら、色々考えたのでその辺を書いてみたいと思います。
逆風
私の住んでる町は海辺の町ということもあり、風はよく吹いています。だいたいは海から吹いてくる風のような気がします。海の方に向かって走って行くときにはこれが向かい風になります。
走るコースは当然ながら家を起点にしてぐるっとあちこちを回って最後は家に帰ってくる(どこかに行きっぱなしってことはないですね、さすがに(笑))ので、そうすると普通に考えればどこかで向かい風だったとしても方向が変わればどこかは必ず追い風になっているはずで、トータルで言えばプラスマイナスゼロのはずです。
ところが、何故か風の強い日は「とにかく向かい風がきつかった」と、辛かったことだけが記憶に残ります。
これはアップダウンについてもだいたい同じで、ぐるっと回ってスタート地点に帰ってくるんだから途中に上り下りがあろうとも最終的には高さはプラスマイナスゼロのはずです。けど、「今回は上り坂があってきつかった」とやはり辛かったことだけが記憶に残ります。
理由
まぁ、風についてはこちらの進行方向が変わった途端に本当に風向きがガラッと変わったという可能性もゼロではないのですが、そうタイミング良く変わることってそんなにないですし、さすがに高低差については走ってる間にスタート地点が隆起して高くなってたなんてことはないはずです。
いくつか理由は考えられます。例えば、下りや追い風は思うほどに「楽に走れる」ことには寄与しないでむしろブレーキかけながらになるのでしんどいとか、前に進んでるんだから空気との相対速度の問題で向かい風の方がより感じやすい(追い風は感じにくい)とか、そもそも走っててしんどいから少々下りや追い風があっても楽と感じてる余裕はないとかはあるかと思います。
ただ、個人的に思うのは、何よりも人間はしんどいことばかりよく覚えていて、楽だったことは忘れてしまうというのは大きいのではないかと思います。
これって
考えてみると、これは人生も同じなのかな・・などとちょっと大げさなことを思ったのでした。
前に進んでいるときには追い風を感じにくいのと同様に、誰かが本当はあなたを助けてくれてるけどそれを感じていない、または辛いことの印象の強さに隠れて忘れてしまっているということはないでしょうか。
向かい風を感じてるとき、それは本当に向かい風でしょうか。単にあなたが前に進んでいるから空気の相対速度で感じている抵抗ではないでしょうか。
止まっているのに向かい風を感じて、それが押し戻すほどに辛いのであればしばらく止むのを待つとか、ちょっと自分の方向を変えてくるとうまく行ったりしないでしょうか。帆船やヨットは向かい風でもうまく動くと進むことができるそうで、むしろ無風が一番辛いともききますが、あなたの状況はどうでしょうか。
下り坂と同じく、人の助けに対してむしろ負担になって辛いと思ってないでしょうか。逆に、世話を焼きすぎ、助けすぎてその人の重荷やマイナスになってしまってないでしょうか。
上り坂も強烈な角度の時には斜めに登るとちょっと楽だったりします。距離は伸びてるから物理的仕事量は変わってないですが、人間意外と登る角度が緩くなると楽に感じるようです。同じように斜めに登るような道の広さや、回り道はないでしょうか。距離が伸びた分は速度を上げてトータルタイムは稼げませんでしょうか。
まとめ
なんか宗教や自己啓発みたいな事言っててなんともアレですが、向かい風の中を走りながらこんなことをぼんやりと考えてました。
そして、逆境や辛いときには他の道がないか、方向がないか、そもそもそれは逆境なのかを冷静に考え、追い風の時やうまく行ってるときほど人の助けに感謝を忘れずにいたいなというようなことを思ったのでした。
それでも辛くてどうにもならないときは、ちょっと休憩して体力や脚力を回復させつつ風が止むか風向が変わるのを待てばいいし、さらにそれでもどうにもならないときは手を挙げて助けを呼べば良いのです。
「ヘイ、タクシー」
・・・いや、ちゃんと昨日はゴールまで走って帰ってきましたよ?(笑)