縁は異なもの

人との繋がり

人の縁というのは本当に不思議なもので、それを感じる時というのがあります。

 

福岡は都市機能がコンパクトにまとまっているとか大きな大学が東京ほどに沢山はないので学閥が分散しないとか進学や就職で東京に出る人が多いから大学よりも高校の学閥が強いとか商人の町で地元の企業の元気があるとかまぁ色々と要因はあるんでしょうけど、とにかく狭いです(物理的な意味ではなく世間的な意味で)。

私は生まれも育ちも働いてるのも福岡というのもあって、どこに行ってもやれ高校の先輩だ、中学の同期だ、大学の研究室で一緒だったあの人が小学校からの幼なじみだ、夫婦とも私の高校の同期と小中学校の同級生だとか、なんやかんやで人と繫がることが多いです。どこに2~3ホップ以内の知り合いがいるか分からないのでうっかり悪いこともできません(しないけど)。

 

例えば

現職でも同僚の一人は彼の中学の同級生と大学のクラスメイトが僕の高校の部活の同期だったり、他の同僚は中学の後輩だったりします。

他にも大学のサークルの先輩の教え子と勉強会で出会ったり、飲みに行った店のオーナーと高校の後輩が知り合いだったりと、まぁとにかく世間は狭くてビックリします。

 

極めつけは妻との繋がりでしょうか。妻の高校の同級生が僕の大学の同期で、その旦那さんが僕と同じ研究室、その縁で二人の結婚式に呼ばれた時に妻とは会ってるけどお互いのこと全く覚えてなくて10年経って出会って結婚することになってから初めてその縁に気がついたなんてことがありました。しかも妻の仕事の同僚に僕の高校の同期がいたりともうわけが分かりません。

 

縁を繋ぐもの

とはいえ、何もしないで縁が繫がってるわけではないです。勉強会に行くのもそうですし、同窓会に顔を出したり企画したり、OBが集まってやる企画の手伝いをしたりと近いところとの縁を繋いでいたからそこから派生して繫がっていったというのが一番大きな要因かと思います。

 

別に「出会いを求めて」とか「縁を求めて」とか「仕事に繫がりそうだから」なんて気持ちは全くなく、むしろ時には面倒だなーと思うこともありつつも関わった最初の縁を大切にしてその人達との繋がりを楽しんでいたら気がついたらこうなっていたという感じです。振り返ってみると最初に「めんどいけど行ってみるか」と重い腰を上げたいくつかのタイミングが、全ての引き鉄や後押しとなって良い結果に繫がったように感じられます。

 

縁は求める人のところにではなく大事にする人のところに集まり、そのためにはいくつかの決断と動くための少しの勇気がいるのかなという所でしょうか。

 

まとめ

縁は異なものとは言いますが、それはまずは縁を大切にした人にしか実感できないのかもしれません。縁を大切にするというのは人に優しく生きる、人を尊重するという生き方なのかもしれません。

単にあちこちに顔出して名刺をばらまいて、「自分は(有名な)あの人を知ってる(名刺持ってるだけ)」というだけではダメで、それを如何に良い縁にしていくか。そのためには何度も関係を持つ、一方的な関係にならないようこちらからも先方に何か良い影響を与えられる努力をするといったことが大切かと思います。

 

今日もそんな縁で繫がった人達との新年会で酔っぱらった勢いでつらつらとまとまりのないことを書いてみました。まぁ酔ってるので許してください(相変わらず酷い言い訳)